兄弟で浜松医科大学に現役合格した杉本家。お母様に、子どもたちとどう関わってきたのかを伺いました。
※参考:静岡から医学部へ 〜杉本 望拓くん(浜松医科大学1年)〜

兄弟で性格の違いはありましたか?

もう全然違います。なので子育ての基本方針は一緒なのですが、接し方を少し変えていました。例えば、兄の方は押さえつけたり、縛ったりしたら絶対に駄目。小さい頃は、あえて自由に泳がせていました(笑)。興味がありそうな分野の本などを、私の枕元など見えるところに置いておくと、知らないうちに読んでくれることがあるんです。家族でその本の話題になったときには「えっ、すごい! なんで知っているの!?」と驚いてあげるようにしていました。「この本を読みなさい」と言っても読まなかったので(苦笑)、多少は効果があったかなと感じています。

どんな本を選んでいたのでしょうか?

興味が広がったり、その先を見せられるような本を選ぶようにしていました。別に、名作を読ませようとしていたわけではないんです。物理の世界に興味がありそうだったら、タイムマシンの本を置いておいたら読んでくれるかな、というくらいの感覚です。

勉強面では、どう関わっていましたか。

兄が、小学校時代に、数学に興味を持ったことがあったんです。「中学に行ったらxとかyとか使うんでしょ? やってみたい!」と言い出して。基本的には幼稚園から小学校の間は私が勉強を見ていたのですが、せっかく興味を持ってくれたので、「じゃあ、特別にね、静岡に数学を教えている先生がいるから、月に1回行ってみる?」と聞いてみたんです。まあ、その先生は私の知り合いなのですが(笑)。自分で納得して決めたい子だったので、自分で選べるように、強制はしませんでした。おかげで楽しんでやっていたようです。面白ければ続きますからね。

弟さんはどんな性格でしたか?

好きなことには一生懸命で、幼稚園の頃からサッカーをやっていて、小学生のときには地区のトレセンにも選んでもらっていました。イメージとしては感覚派ですかね。

感覚派の子に学習習慣をつけるのは難しそうです。

幼い頃に「勉強ができる自分と、できなくて困っている自分と、どっちになりたい?」と聞くと、まあ「勉強できるようになりたい」って言うじゃないですか。そこで、「じゃあ、これをやろうね」と言って、毎日30分勉強することを約束しました。年少から小学校6年生まで、毎日欠かさず続けました。これは兄弟そろってですけど。

もちろん、小さいうちは勉強といっても、「机に向かうことが普通のことになるように」ということで、はさみを使った工作や折り紙をしたりしていました。先輩ママに「小学生の男の子は、勉強が嫌だと言って逃げちゃうから困るのよね」と聞いて、「小学校に上がって、勉強させるのがそんなに大変になるのは嫌だな」と思ったんです。なので、毎日やるのが当たり前になっていれば、学校の宿題をやるのも嫌にならないかも、と考えたことがきっかけです。

サッカーをやりたいんだったら、この30分は「勉強ができるようになる」ために必要な時間として、お母さんと一緒にやろうね、と言い続けてきました。弟は小さい頃は完璧主義だったので、みんなの中で自分だけ分からない状態というのは、きっと嫌だろうなと思ったので、少し先取りするような内容で勉強していました。学校で授業でやったときに「この内容知っている!」と少し得意になれるようにと考えていました。漢字も読みだけは1学年上をやっていましたね。書けなくても、読めたら「知ってる!」って思えるじゃないですか。教科書のどこかのページに、ヒントになるようなものがあれば、それをすくって寝る前の読み聞かせに使ったりしていました。

かなり手をかけられたんですね。

はい。自分でやる分にはお金がかからないので(笑)。今思えば、休みなしでがんばっていたと思います。ただ、ずっとやっているので、そういうものだという感覚でした。17時までには遊びから帰って来て、夕食を食べて、18時から30分間は勉強。その後、空手やサッカーに行っていました。動と静のメリハリをつけて、ずっとやってきました。我慢とかではなく、そういうものだと。

私は保育士なのですが、子どもが生活面で身に付けていく体験って毎日たった1回なんです。たった1回なんですけど、それが1週間重なると、7枚の紙になるじゃないですか。少し分厚くなる。さらに積み重なるとティッシュ1箱になる、そんなイメージを持っています。この子が良い行動を積み重ねていけば、習慣化されてその子の身になる。

お兄さんが空手、弟さんがサッカーをされていたそうですが、継続できた秘訣はなんでしょう。

小学生でも高学年になると結構忙しくなりました。そこで、今までは毎日やるものを渡していたのですが、それを1週間単位にしました。毎週月曜に、この1週間にやることを決めて、できない日があっても、1週間後にできていればいい、というように変えたんです。準備が大変でしたけど、小学生でも塾の費用は高いし、何よりうちの子たちは遊びたがったので。友達と遊んでおやつを食べたり、サッカーをやったりという時間が何よりも好きだったんです。だから、塾に通って遊べなくなるのは避けたかったんです。遊ぶ時間を確保して、短い時間ですが、うちのペースでできることをしていました。

中学生になって以降も、学習指導は続けられたのでしょうか?

地理だけは私が教えていましたが、他は放っておきました。中学に入ったら、テストは自分の努力の結果が出るだけだから、と伝えて、教えることはもちろん、「やりなさい」と言うこともありませんでした。放置です(笑)。小学校までは親の影響が大きいですが、中学校以降は友人や先生の影響が大きくなるので、思い切って任せた方がうまくいくような気がします。

弟さんは高校に入るときに、サッカーをやめたそうですね。

そうなんです。小学5年生のときにトレセンに選んでもらえるくらい熱中していました。中学は「お兄ちゃんと一緒のところに行く」と、中高一貫校の静岡聖光を選んだのですが、中学入学後もサッカー部に入りました。ここでは経験者が少なかったみたいなんですが、「他チームに勝ちたい」ということで、みんなで本当にがんばって練習していました。そして、中学3年生の大会で、全然勝てなかったチームが、なんと2勝もできたんです。「おれ、泣きそうだよ」なんて言っていましたね。

ところが、中学の最後の大会が終わってしばらくした頃に、弟本人から電話がかかってきて、「サッカーをやめて医学部受験をがんばるよ。決めたから」と。とてもびっくりしたのを覚えています。外出先だったので「家に帰って来てから話そう」とだけなんとか伝えました。幼稚園のときからサッカーをやっていて、多い時は週5回送り迎えをしていたんですね。本当にがんばっていたサッカーをやめるというのは衝撃でした。直接話して決意の強さは分かったのですが、悲しいやら、自分で決断して偉いと思うやら、複雑でした。

お兄さんの姿を見ていたのも大きかったのではないでしょうか?

確かに、兄がどれだけ勉強していたかを間近で見ていましたからね。医学部に合格したモデルケースが目の前にあるので、同じか、それ以上に勉強しようと決意したのかもしれません。弟にとっても、兄の一言一言はすごく重かったと思います。兄は、はっきりとものを言うタイプなのですが、弟の勉強に関しては、弟が嫌にならないように気を遣ってくれていたので、感謝しています。

兄弟の医学部受験を振り返って感じていることはありますか。

兄がある大学の二次面接のときに、今までもらった賞状などをファイリングして持って行ったんです。面接官の方に「これ、どうしたの?」と聞かれたので「賞状が大きかったので、母と弟がファイルに入るように切って、父が整理して、私が入れて作りました」と答えたらしいんです。すると「家族みんなが、君が医師になることを応援してくれているんだね」「はい、そうなんです!」というやりとりになったそうです。

それを聞いて、「家族のことを話してくれたんだ」と、とてもうれしい気持ちになりました。今、振り返ると、4人のうち誰が欠けていてもダメだったと思います。4人がそろっていて、みんなが2人の夢を応援していたことがよかったのかな。4人いたからこその結果です。

辛かったことはありましたか?

大変ではありましたが、辛かったという意識はなかったです。むしろ、本人たちが将来やりたいことを見つけてくれたことが、親として本当に幸せでした。

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